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紺碧の地中海ダイブと世界遺産の島を楽しむ  2015/8/22~30 
 8/22(土)23(日) 
 STワールドを利用して、初めての地中海ダイブと世界遺産の島の撮影を楽しみに出発!出発は22時30分だったが、涼しくなってからコロの散歩をして、庭に水撒きなどしていたら予定時間を30分もオーバーしてしまった。高速道路で練馬ICから入ると2時間足らずで着くのだが、江古田のペットホテルを回ったので、首都高の混雑に嵌って予定時刻の20時を大幅に回りそうだったので、やきもきしてしまった。何とか10分遅れで駐車場に到着して空港へ。食事を摂る暇がなかったので、コンビ二でおにぎりを買って食べようとしたら、出発が30分早まっていて、機内で食べるはめになってしまった。何と0時過ぎに夕食が出たので、パスして睡眠薬を飲んでぐっすり眠る。朝食を食べて隣の女の子に話しかけたら、マルタへ3ヶ月の語学留学に行くのだそうだ。仕事を辞めての挑戦とか。
 イスタンブールには4時過ぎに到着。真夜中だと言うのに、たくさんの人がいて、ショップも賑わっていた。ここで4時間の待ち時間。トイレはたくさんあるのに、清掃中か床が水浸しでちょっと使いたくない雰囲気のところが多かった。8時50分やっと出発。ダーダネルス海峡もきれいに見えて、赤茶色の町並みが美しい。隣に座った日本人の女の子も3週間の語学留学とか、こちらは大学の夏季休暇を利用しての留学だそうだ。もう一度食事が出て、3時間ほどでマルタに到着。イスタンブールとは対照的に、こちらの町並みは薄いグレーで統一されていた。
 空港を出てSTワールドの目印を探したが見当たらず、もう一度戻って目を凝らすと、やっとKAZUKO ITOの字が目に入る。いつもは日本人スタッフが出迎えてくれるが、今回は現地のドライバーがホテルに送ってくれただけ。ホテルには12時に到着。チェックインは14時とのことなので荷物を預け、ハーバークルーズの出航地を聞いてバスでスリーマへ。地球の歩き方では、1日券があるとのことだったが2時間券しかなくて、それを購入する 2ユーロ(280円)。バスの乗降口は前の一箇所、奥へ入ってくださいとの指示を聞き入れる人はいなくて、後ろはがらがらなのに前は超満員。その訳は、降りたい駅に来たとき前に移動するのが大変で、降りられないことがしばしばあった。日本のように前乗り後降りができるといいのに。また、道路沿いには家がびっしり建っていて、駐車スペースがないので車は道の両側に路上駐車。信号機もないので、バスは時速20km程度ののろのろ運転、急ブレーキをかける事が多いので、しっかり掴まっていなくてはならなかった。それでも有難かったのは、ほとんどの人が席を譲ってくれたこと。初めは遠慮して断ったが、次からは有難く座らせてもらった。前の席はほとんどが優先席になっていることを後になって気がついたが、私もお年寄りとして通用するようになった訳で、ちょっぴり寂しいような・・
 スリーマからCaptein Morgan Cruise で90分間Valletta湾内をクルーズする。ヴァレッタは1565年トルコ軍によるマルタ攻略の「大包囲戦」の勝利の後、聖ヨハネ騎士団長ジャン・ドゥ・ラ・ヴァレットによって築かれた城塞都市。マルタ・ストーンと呼ばれるベージュ色の石灰岩の建物が並び、堅牢なほ塁と城壁が周囲を囲み、独特な景観をとどめる町だった。バスでセントジュリアンに戻り、ホテルThe Westin Doragonaraにチェックイン。ロビー階は3階に在ったが、同じ階のプールと海に面した部屋で、ダブルベットほどの大きさのツインのゆったりしたベランダ付の部屋だった。早速シャワーを浴びてさっぱりした後、ヴァレッタに出かける。バスターミナルから城門を入るとフリーダム広場の先がメインストリートのパブリック通りとなり、カフェテラスが夕食の準備を始めていた。素晴らしいバックシャン女性の一団が通りかかったので、思わすシャッターを押す。ヴァレッタからの夕陽がすばらしいとのことだったので、目星をつけていたアッパー・バラッカガーデンの場所を準備中のボーイに聞いてそちらに回る。見下ろした海の景観は想像していたものではなくちょっとがっかり、夕陽に雲が赤く染まり教会の塔のシルエットがきれいだった。見て回るには遅い時間だったので、そのままセントジュリアンに帰り、近くのレストランで遅い夕食を摂り、ホテルに帰る。
Vallettaの宵   
   
   
   
   
   
 Captein Morgan Cruise (Valletta湾内)    
     
     
     
     
The Westin Doragonara Resort   pizaやのイケメン職人 
     
8/24 (月)
 昨夜は疲れてぐっすり眠れたので、朝6時頃目が覚める。空がピンク色に染まってきたので、海岸に出て朝日を撮影。7時に朝食を摂る。レストランに続くテラスは爽やかな海風が吹いて気持が良い。朝食のバイキングは品揃えが豊富で、美味しかった。
 Hop on Hop off Bus にホテルの前から乗り、青の洞門(ブルーグロット)を目指す。地球の歩き方によると所要時間は通しで2時間50分とのことだったので、朝の光が差し込む午前中には到着するかと思ったが、到着したのが12時で、ちょっと残念だった。船着場に下りる坂の上にフクロウとオウムが木の枝に止まっていたので、いい被写体がいると撮っていたらそばのお兄ちゃんがどこから来たのと問いかけるので、日本からと応えてたりしていたが、写真を撮ってはだめと言われなかったので、気にせずばしゃばしゃ撮ってしまった。後から息子に写真を撮ってはだめと書いてあったよと言われた。「ごめんなさい、気が小さくて言えなかったのね」・・  ここは、ナポリの青の洞門よりきれいとの唄い文句だったが、昔訪れたナポリの風情の方が良かったように思う。7人乗りの小船で30分程遊覧する。岸辺には泳いでいる人たちも大勢いた。
 お休み所でコーラを飲みながら待っていると、バスがきたのでハジャー・イム 神殿とイムナドラ神殿へ行く。ハジャー・イム神殿は紀元前2800~2400年に建てられた神殿で巨石を縦横に積み上げた壁と床が続いている。風化を防ぐため、ドーム型の笠で覆われているのが興ざめだが、文化財保護のためには止むを得ないか・・ そのまま草原の一本道を行くと崖の下に海が広がる場所にイムナドラ神殿が建つ。 こちらは紀元前3,000~2400年に建てられたものだそうだ。道を外れて崖の先端まで行くと白波に洗われた岩場が眼下に広がり気持が良かった。
2時過ぎには終点のスリーマに着く。セントジュリアンまではすぐだから歩いて行こうというので、暫く頑張って海沿いの道を歩いたが、とても行き着きそうにないのでバスの乗ることにする。ホテルの近くのスーパーで食料と水を買って遅い昼食を摂る。午前中に青の洞門に着かないのなら、途中で聖パウロの洞窟や地下墓地などに寄れば良かったと思ったが、後の祭り・・ 
 スリーマからヴァレッタの街を眺める場所で夕陽を撮りたくて、夕方またバスに乗ってスリーマへ。夕陽には早いので撮影場所を決めてから近くのカフェで冷たいジュースを飲んで一休み。日が沈んできたのでスリーマの海岸で夕陽を撮る。遅い時間にもかかわらず、まだたくさんの若者が泳いでいて、私に手を振ってくれた。

 Doragonaraの朝陽  Blue Grotto 
   
   
   
 ハジャー・イム 神殿  
   
 イムナド-ラ神殿への道  
   
     
     
Slema の日暮れ   
   
8/25(火)
 今日も朝陽を撮ろうと、前日目をつけていた向い側の棟の屋上に行こうかとエレベータの表示を見ると、全部スイートとなっていた。フロントに屋上には行けないのか聞いて見ると、だめとのこと。あれはスイートの庭になっているようだ。仕方がないのでレストランのテラスから前のカジノの庭から昇った太陽を撮る。
 今日は、いよいよダイビングの日。朝食を済ませて前の海岸にあるダイブショップ「DIVEWISE]へ。前にメールのやりとりをして知り合いになっていた「あん」さんが出迎えてくれる。今日の仲間は日本人カップルと私たち2人。午前の1本はドラゴナーラの前のハウスリーフでテストダイブ。茶色に白い石灰石の粉がついている海草が続くだけの何の変哲もない海。2本目はセントエルモ湾に沈んだ英国軍の駆逐艦HMSマオリの前方部分。ここの透明度はまずまずで、世界遺産の海で潜った記念となった。ダイビングスタイルは、体育会系だよと言われていたが、スチールタンクは旧式で私の握力では開け閉めが厳しく息子に手伝ってもらった。スチールタンクと3kgのウエイトを巻いて歩かなくてはいけないので、フィンも持ってもらったり、今回はとても頼りになる息子だった。 ホテルの部屋に帰る前に、プールで泳ごうかと思ったが、水温が高く気持が良くなかったので、前の海で泳いで見る。岩場からすぐ深くなっていて、水温も冷たく足を掻くだけで浮かぶので気持が良かった。
 時間があるので、今日はイムディーナへ行って見ようと、案内係のおじさんに所要時間を聞いて見ると、タクシーで20分、バスだと1時間と言われる。4時半のバスに乗るつもりで出かけたら、何と30分遅れ5時過ぎに出発となる。1時間過ぎても到着する気配がなく、息子が案内図に照らし合わせて近くに来たのが一時間半後、バスの運転手に降り場所を聞いたら、終点とのこと。暫く行くと小高い丘にそれらしい建物群が現れほっとする。イムディーナは16世紀にヴァレッタに先立って首都が置かれ、貴族の館が立ち並んでいたという。アラビア語で城壁の町と言われるこの町は、空堀と城壁に囲まれている。堀にかかる橋から町に入ると、マルタストーンの家々が迫り、くねくねとした狭い小路が続く。夕方訪れたので「静寂の町」と言われる趣がいっそう強く、異国情緒が感じられた。行きがけに見つけたBacchus と言うレストラン(地球の歩き方に載っていた)は入り口もすてきだったが、中は中世風の趣があり思ったより広く、奥にテラス席があって、そこに案内された。パスタとマルタ料理の盛り合わせを注文。大か小かを聞かれたので、小を頼んだが、量も適当で美味しかった。帰りのバスの時間が心配だったので、デザートが食べられなかったのは残念!
Doragonaraの朝陽  セント・エルモ湾のダイビング 
   
   
   
Mdinaの宵   
   
   
   
     
   
 8/26(水)
 今朝の朝陽は、ホテルの右側を回って広場になっている岩場に下りてみる。夜更かししたのか若者の一団が酒盛りをしていた。右奥の岩場にはカップルが朝陽を待っていたので、そちらを被写体にする。今日は雲が厚くてきれいな朝陽でなかったのは残念!
 今日はダイビング2日目。ゴゾ島が見える北の端まで車で移動。岩場から海へダイビングするスタイル。1本目はチルケアのタグボート・2本目はアーチ。水温が低いとのことで、フードを借りて潜る。ほんとうに暫く潜ると急に冷たくなり、リフーの海が思い出された。上から眺めた海は透明度が良さそうだったが、中はあまり良くなくて、写真はうまく撮れてなかった。ほんとうはゴゾ島のブルーホールかコミノ島のケーブに行きたかったのだが、ボートは、経験者が揃った時しか出さないとのこと。ボートの方が自分でタンクをボートまで運ばなくてはいけないので、年寄りには無理なようだ。休憩時間に海に飛び込むダイバーの写真が撮れたのが今回の収穫!今日一緒にもぐったのは若い女の子、どこから来たのか聞くと「Nerderland」とのこと。Nerderlandにダイブポイントがあるのかと思って、夏は暑いのか聞いて見ると、22度程度とのこと。きっとダイビングはそれほど盛んではないのではと思われた。
 ホテルに帰って、今日は直接海へ行きロープの中を端から端まで泳いで見た。日本の海のように遠浅の砂地でなく、波もないので泳ぎやすく浮遊感があって気持が良かった。
今日はさすがに疲れて夕食を食べに出かける元気が出なかったので、持参したカレーのカップ麺を食べて、早々に就寝する。息子は夜の街にお酒を飲みに出かけた。
The Westin Doragonara の夜   
   
朝陽を待つ恋人たち
   
マルタ島の北端ゴゾ島を望むポイント、チカワーアーチとダグボート  
   
   
8/27(木)
 今日はゴゾ島ツアーをネットで申し込んでいたので、ホテルでピックアップを待っていたが、10分過ぎても来ないので、案内係のおじさんに電話を入れてもらう。迎えに行ったと言う事で安心して待っていたら、30分遅れでやっと到着する。乗ろしていたら、案内係のおじさんが心配してもう一度電話しようかと聞いてきたので、乗るところと知らせる。何度もいろんなことを聞いているので、顔見知りになり心配してくれたようだ。ゴゾ島行きのフェリー乗り場の前で、ガイドに英語とフランス語ガイドグループの選択を尋ねられたので、英語を選ぶと女性ガイドがグレーの傘を目印に付いてこいとのこと、24人程のグループだったが日本人は私たちを含めて5人いた。ゴゾ島では観光バスによる移動。ガイドは機関銃のように案内してくれるが、ほとんど聞き取れないので、集合時間等必要なことだけ聞くようにした。
 マルタ本島の西6kmに位置するゴゾ島。海に囲まれいるが水に恵まれ耕地と緑が広がり、海はより深く青い。ゴゾ島の中心地はビクトリア。紀元前50世紀には人が住んでいたといわれ前2500年前にはジュガンティーヤの巨石神殿が建てられた。フェニキア・ ギリシャ ・ローマの支配を受け、14世紀にはイタリアの支配に置かれた。1551年の海賊の襲来で、ほとんどの人が奴隷として連れ去られ、殺戮され尽くしたという。これを契機に17世紀に聖ヨハネ騎士団がトルコ軍や海賊の襲来に備え、高台のチタデルに防御の塔と城壁を巡らせた。国立考古学博物館から左側を上った、セント・ミケーレほ塁からは町が一望できた。
 ゴゾ島の中でも海辺のリゾートとして人気のあるシュレンディのレストランで昼食(白身魚のトマトソース煮とサラダ)を摂る。向かいに座ったおじさんに話しかけたら、英国人とのこと、我々は日本人というと、日本には2年前に行ったことがあり、富士山を見たといっていた。近くの遊歩道を散策。青い海と自然のアーチが印象的なアズールアーチを見て、ビクトリアに戻り、自由時間で町を散策する。途中のお土産やさんの意匠が面白い(壁の花模様や人形が窓から洗濯物を干している姿、入り口の魔法使いのおばあさん?や荷車)中ではレース編みやネックレスを作る実演をしていた。
ゴゾ島玄関イムジャール  国立考古学博物館 
   
ジュガンティーヤ神殿   
   
Traditionar Market 「Fontana Cottage」  窓辺にいるのは人形(洗濯物も造形物) 
   
   
Xlendi Bay
   
 
Azure Window   
   
   
The Cathedal   
   
The Cittadella   
   
   
 

 
Victoria(Rabat)   
   

   
8/28(金)
 今日は、マルタ最終日。朝陽はホテルのプライベートビーチの左側で撮影。向かいのカジノの円柱から輝く朝陽が撮れた。午前中ヴァレッタの観光をする予定だったので、部屋の時間延長を頼んだが、予約が入っているとのこと。室内プールやサウナ、マッサージが無料で利用できるとのことだったので、スーツケースを預けて、バスでヴァレッタへ。岬の突端にあるセントエルモ砦から海岸沿いにローアー・バラッカガーデンヘ寄って、お目当てのセントヨハネ大聖堂へ行く。マルタ騎士団の守護神ヨハネに捧げられた教会。騎士団の富と力を結集した内部は実に豪華。石灰岩の柱には紋章や天使の彫刻が施され、その周囲には騎士たちの言語別に8つの礼拝堂が取り巻く。天井には石灰岩に油絵の具で直接描かれたヨハネの生涯や騎士団長、マルタ十字架、甲冑などが描かれている。床一面には400とも言われる墓碑が敷き詰められ色大理石で紋様が描かれている。教会に続く美術館にはカラバッジョ(ミケランジェロ)によって描かれた『聖ヨハネの斬首」「聖ヒエロニムス」が飾られており、こちらは撮影禁止。
 ホテルで汗を流し、着替えをしてから迎えの車で空港へ。あんさんに聞いていたマルタ土産にヌガーを購入。ヌガーは歯にくっつくのでどうしょうかなと思ったが、せっかくのマルタの記念にと2箱購入する。これがなかなかの優れもので、口に含むとさらっと溶けて上品な味わいだった。
 Malta 16:40ー Istanbul 20:00 Istanbul 1:15ー Narita 18:30 。また、イスタンブールで4時間の待ち時間があった。行きの飛行機のおやつに出されたロクムが美味しかったので、それを探す。ピスタチオ・ナッツ ・チエリィなどいろいろなものが入ったのが売られていた。日本のゆべしに似た食感があり、皆に気に入ってもらえた。イスタンブールは東西文化の交差点。様々な国の人たちで賑わっていた。イスラムの祈りの場も用意されていた。すぐ夕食が出されることが分かっていたので、今度はカフェでお茶とお菓子を食べる。出された紅茶のポットとカップの大きかったこと。お茶好きの私でも飲みきれなかった。
 食事が終わって、入れていたいたはずの睡眠薬が見つからなかったので、たくさんのメニューが用意された映画を鑑賞して過ごした。中谷美紀の「繕い裁つ人」を見る。しみじみといした気持の良い作品で、足踏みミシンがおかれた工房に射す夕陽が印象的だった。映画好きの知人に尋ねると、特別な映画館で短い期間しか上映されなかったので、見逃してしまったとのこと。普段あまり映画を見る時間がないので、見られてラッキーだった。
 出発が1時間遅れたので、成田には19:30分に到着する。東京は雨で22度だった。マルタとの落差に驚かされる。コロのお迎え時間が大幅に遅れたので、電話を入れて待ってもらうことにする。結局20時になってしまう。いつもの元気がないので心配したが、翌日から下痢嘔吐が止まらない。月曜は仕事だったので、火曜日に病院に連れていくと、入院して様子をみましょうとのこと。雨が続いて散歩に連れて行ってもらえなかったのと、いつもは静かに一匹で過ごしているのに、大勢の犬達と一緒でストレスが溜まったせいだと思うので、通院で済ませたかったが、体温も下がっているのでといわれて、2日の入院となる。お迎えに行くと、体の張りが違って、元気いっぱいだったので安心するが、これからは長いお預けはだめかもしれない。
Doragonaraの朝陽   
 
Valleta (Fort St.Elmo)
 
 
   
Valleta (Street)   
   
   
   
St. John's Co. Cathedral   
   

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