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三陸海岸・松島 家族旅行  2020/8/25~27

 8/25(火)
 例年の夏は海外へダイビングに行くのだが、今年はコロナ騒ぎで海外には行けなくなった。そろそろダイビングもお仕舞いにする時期なので、ダイビングを始めるきっかけとなった万座ビーチの日航ホテルに泊まりたいと、沖縄ツアーを探したがダイブツアーの宿泊地は那覇なので、個人的に万座ビーチのダイブショップを当たったら初めての客は65歳以上はお断りということ。仕方なくいつものSTワールドを利用して奄美大島に予約を入れる。その後コロナの第2波で沖縄方面は厳しくなってきたので、残念ながらキャンセルする。1日違いでキャンセル料を20%取られたのは痛かった。
 そんな時休暇村のパンフレットが送られてきて陸中宮古の海がすてきだったので、こちらに決める。車で8時間かかるので、途中の松島に1泊することにする。自宅を12時に出る予定が、結局1時過ぎになってしまい松島の朝日がきれいだという四大観の一つ「幽観」に着いたのは、朝日の昇る時間5時ぎりぎりになる。ほんの4~5台入る駐車場に車を止めて、急な石段を登ると山頂に展望所があり、松島が一望できた。生憎の曇り空で朝日は見えなかったが、朝焼けの空と広大な眺めをしばらく満喫する。
   
中尊寺 平泉の中尊寺は高校の修学旅行、職場の旅行で訪れたことがあるが、あまり記憶に残っていなかったので、今回の行程に加えた。入り口からの坂道は急ではなかったが、とてもきつかったので、自分の老いのせいかと思っていたが、帰り道結構きつい坂になっていたので、だからかとちょっと安心する。下から登ってきた方が、良く頑張りましたねと労ってくれた。 中尊寺は藤原三代のゆかりの寺として著名で建築・庭園及び考古学的遺跡群として世界遺産に登録された。園内は塵一つなく静謐で、いくつかの御堂は青葉に囲まれてそれぞれ風情があった。金色堂は上屋の中に保存されていたが、1124年創建当時の姿を残しており、南洋の海からもたらされた夜光虫の螺鈿が施され、象牙や宝石によって飾られ当時の奥州藤原氏の隆盛が伺われた。
   
   
   
   
   
   
   
浄土ヶ浜  丁度遊覧船が出る時間だったので、遊覧船で湾内を一周する。生憎の曇り空だったが少し青空も見えていた。遊覧船の客が餌をやるのでウミネコが遊覧船に
付いてきて大騒ぎだった。宿の陸中宮古休暇村の散策路を行くと、遠くに浄土ヶ浜が見渡せた。
夕食は、まぐろずくし会席を注文した。まぐろ尽くしではなく色々なものが食べたいと思ったが、会席は1品だけとのこと。刺身や握りは美味しかったが、まぐろのカツレツやバター焼きのマグロはちょっといただけなかった。
   
   
   
   
8/26 朝4時に起きて浄土ヶ浜の朝日を撮りに行く
   
   
   
   
鵜の巣断崖 鵜の巣断崖では霧が立って絶好のシャッターチャンスだった。 ハワイでワイピオ溪谷に行ったが、ここの断崖の方が良かった!
   
   
   
   
   
 たろう観光ホテル  東北大震災から10年、ほとんど復興しているように見かけられたが、震災の爪痕を残したホテルの残骸にその恐ろしさが伺われた。
巨大な堤防も建設中で、この教訓から次の災害を最小限に食い止めたいものだと思った。
   
龍泉洞  ここから内陸に入り龍泉洞に寄る。洞内は10℃とのこと、ひんやりしていた。三大鍾乳洞とのことだが、秋芳洞の方がスケールは大きかった。
   
小袖海岸  あまちゃんのロケ地になった場所
   
つりがね洞   
   
 松島 九戸から高速に乗り、夕日の時間までに松島に着きたかったが、小袖海岸で時間をとってしまい、夕日の時間ぎりぎりになりそうだった。途中で事故に会い高速から降ろされてしまった。次の高速に乗るのに細切れになるのかと聞いてみたら続けて乗った料金になるとのこと。これで夕日は諦めることにする。
ホテル一の坊に着いたときは駐車場が一杯、関西方面から来た車も見かけられた。感染防止のためにはやむを得なかったが、東京だけがgo to から除外されたのは、不公平感があった。松島が一望できる宿で、朝日や月が出ている時に泊まりたかった。食事はバイキング形式だったが、いろいろと趣向が凝らされ、美味しかった。ドリンクも飲み放題で、若い方たちには良かったのでは・・
8/27 朝日を撮りに雄島の前の駐車場に行く。曇り空の隙間から何とか朝日が撮れた。
   
   
   
   
瑞巌寺・五大堂 宿に帰って展望風呂に入り、松島の景色を堪能する。 朝食をとってから瑞巌寺行く。828年に創建され、1609年に伊達政宗によって再建された建物が
国宝や重要文化財に指定されている。参道の杉並木は寂しい佇まいだったが、津波による塩害で伐採される前は、鬱蒼と茂っていたようだ。右手の道には納骨や供養の
ために造られた洞窟群が岩場の松島海岸らしさを表していた。
 五大堂は807年に坂上田村麻呂が東征のとき毘沙門堂を建立し、五大明王を安置したことから呼ばれるようになったとか。現在の建物は1604年に伊達政宗が創建したものだそうだ。
   
   
   
   
松島四大観(偉観)多聞山  最後に多聞山からの景色を見て松島を後にし、5時頃には家に着いた。 コロちゃんは動物病院に預けたが元気にしていたようだ。  
   
   

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