小笠原 2017/8/5~11 |
今年のダイビングは、一度は行きたいと思っていた小笠原へ出かけた。東京から丸一日がかりの船旅で東京都下とは思えない遠さだ。コロをレルフェに預けて久しぶりに竹芝桟橋へ。伊豆諸島は、大島に数回、神津島、八丈島に出かけたが、小笠原丸は初めて。先週は台風5号が小笠原に停滞していたが、九州方面に行ったのがまた戻ってきて、どんよりしたお天気だ。レインボーブリッジをくぐって、東京湾を抜け八丈島が見える頃には夕日の時間、太陽が沈むところは見えなかったが、八丈島と八丈小島が赤く染まってきれいだった。船は少し揺れたが、今回は1等船室を取ったので、快適な船旅ができた。 小笠原に近づくとカツオドリがたくさん飛んでいた。ごつごつとした岩の連なりが見え、靄に霞んだ小笠原の島が現れ、はるばるとやってきたという感慨に浸る。港から近いのでお迎えはなしと言われていたが、港に「星の詩」の方が迎えに来てくださっていた。港からすぐのペンションの2階。建ったばかりのようで、清潔でお風呂も広く、広い洗濯室が1階にあり、長期滞在するには快適な宿だった。 初日は、食事の付かない宿だったので、近くの食事処を物色したが、ほとんどが満席で予約がないとだめとのこと、やっと見つけたイタリアンレストランで、島魚のカルパッチョと島野菜ピザを注文する。カルパッチョは玉ねぎの辛みがきつくいまいちだったが、ピザは美味しかった。見慣れない魚のはく製が飾られていたので、名前を聞くとホウボウとのこと。羽根を広げた姿が面白かった。朝の食事を購入しようとお店を探したら、ほとんどが6時閉店。仕方がないので自販でカップヌードルを購入する。 翌朝は、朝日を撮りに4時半に起きて港まで出かける。太陽は山の向こうで日差しも弱かった。釣り人が糸を垂れていたので、海を覗いて見ると、透明度が良く熱帯魚の姿が良く見えた。港の側の公園に女の子と父親が手を振っている舟出の彫刻が立っていて、薄い太陽の光の中の姿がすてきだった。公園の中に黄色い花が咲き、臙脂色の花が散っていたので、名前を聞くとオオハマボウというのだそうだ。大村海岸の写真を撮って、帰ると生協が開いていたので、トマトとりんご、キーウイ、バナナ、パン、牛乳を買って帰る。 2日目は、夕方6時前に宿を出て、昨日断られた酒場風食事処に行き、サザエカレーと島野菜シーフードサラダを注文。シーフードにはたっぷりの海草が入っていたので、翌朝のお通じが良かった。昨夜は寝付かれなかったので、早々と就寝。翌朝は曇りの予報だったので、ゆっくりと6時まで眠ることができた。 3日目は、宿の前の島寿司のお店がいつもシャッターを下ろしているので、お休みかと思っていたら、暖簾が出ていたので覗いて見ると、5時半には店を閉めるのだそうだ。一度は島寿司を食べてみたいと、島寿司のメニューがあるお店に入って注文する。醤油で味付けしたサワラとソデイカ(シソが挟んである)の2種類で、ほんのり暖かい少な目のシャリで握ってあり、とても美味しかった。四角豆の天ぷら、さわらの照り焼き、島野菜チゲを注文する。 ダイビングが終わったら、夕日と朝日を撮りたいと思っていたが、どちらも山の上から撮らないとだめとのこと、レンタカーは予約で一杯。どうしょうかと宿の方に話したら、 廃車にする予定の車を貸してくださるとのこと。ログ付の後で飲みに誘われたが、翌日の朝が早いので、お断りする。日の入りは6時半なので、いつもお客で満員だった丸丈さんで島寿司を予約して長崎展望台へ、広いテラスには観光客がたくさん日の入りを待っていた。眺めは良かったが、太陽は雲の中薄く空が染まる程度だった。パパスのお店で皆さん集まってログ付け、皆さんの前で記念Tシャツを頂き、改めてお祝いしてもらった。丸丈さんに寄って、お寿司を受け取り宿で夕食。今回のはサワラのみでシャリも多く、味付けも濃かったので、ちょっと残念だった。 翌朝は4時半に起きて、三日月山のウエザーステーションへ。誰もいない展望台で海を独り占め。太陽は見えなかったが、海がピンク色に染まりきれいだった。 午後3時半出港までの時間島内観光をしたいと、車が借りられるか聞いてみたら、今日は入港の日なので、お客さんを迎えに行かなくてはいけないとのこと。どうしょうかと思案して、観光案内所のお姉さんに相談したら、前の貸自転車屋さんを教えていただく。電動自転車があったので、初めて乗ってみたが、アップダウンのある道を快適に走ることができた。扇浦海岸、コペペ海岸は、観光客もまばらで静かな海を堪能した。コペペ海岸の上に公園があるようなので、800mの階段を上って山の上へ。青い海を見下ろしていたら、野生のヤギの姿が!青い海をバックに撮っていたら、崖を降りて行ってしまった。追いかけて撮りたかったが、また坂を登ることができるかと躊躇する。時間はたっぷりあったので挑戦するべきだったと、悔やまれた。快適に走ることができたので、12時前には戻ることができ、昼食どころを探していたら、どこも帰りの船の客で超満員。ガジュマルの林の中にあるハートロックカフェの奥にあった和風食堂に並んで、12時開店と同時に入る。お昼は定食のみとのこと、息子はカジキのカツカレー私はエビ天のぶっかけうどんを注文。昼食後宿に帰って休憩所で休んでいたら、目の前を子鳥が飛んでいたので、カメラを持って庭に出る。そこは港に続く公園になっていて、黄色いハイビスカスの蜜をメジロが啄んでいた。 帰りの船室は、往きと同じ628号室。パパスの船が見送ってくださるというので、右舷甲板に出てみたら、たくさんのダイビング船が出航と同時に伴走。しばらくして次々にダイバーが飛び降りて別れを惜しんでくれた。パパスの船は見えないのでどこにいるかと目をこらしてしたら、沖から全速力で来る船が1艘。満員のダイバーが鈴なりになっている船から次々に飛び降りる姿が・・ピンクのスーツで目立っていたダイブマスターの実習生が飛び込む瞬間を撮りたかったのに、連写に切り替えている間に飛び込まれて、シャッターチャンスを逃してしまったのは残念! 週に1度の入船、出港の小笠原丸に別れを惜しむ姿に感動する。それししても、最終日に2本潜る人がいて、入港日に続いて2本と、インストラクターの方たちは、いつ休めるのかと心配になる。 一緒に潜ったメンバーにお茶に誘われ、4階の休憩スペースで歓談。 ダイビングの話で盛り上がる。むらいさちさんの撮影ダイブクルーズに参加されていた方がいらして 話が弾む。6時15分になったので、夕日を撮りに甲板へ、今日は真っ赤な夕日が撮れた。船室に戻ってシャワーを浴びに行く。ドライヤーも付いていて、髪も洗って汗まみれの体をさっぱりさせることができた。帰りの船は往きほど揺れなかったが、朝日は拝めず相変わらずどんよりした空模様だった。 小笠原のことはあまり知らなかったが、1785年林子平に「小笠原島」として紹介。フランス人東洋学者により「BO-NIN諸島」として紹介。英国の捕鯨船により「フィイッシャー島」と名付けられていた。初めに入植したのは1830年セーボレー(瀬堀)ら欧米人とハワイ人25名。1876年明治9年日本が領有権を主張し入植が始まる。明治13年横浜からの定期船が年4回運航されるようになった。昭和20年終戦となり米軍政下に置かれる。昭和43年6月26日返還され、東京都小笠原村となる。平成23年6月世界自然遺産登録。人口は父島2000人、母島500人 |
8/5 小笠原丸東京湾を出港 | |
8/6 小笠原湾到着 | |
ログハウス星の詩 | ホウボウ剥製 |
8/7 二見港 | 舟出 |
オオハマボウ | |
6/9 長崎展望台 残念夕日は見えず | |
6/10 三日月山ウエザーステ―ション展望台 | |
境浦海岸 | |
扇浦海岸 | |
コペペ海岸 | |
ガジュマルの木に囲まれたロックガーデンカフェ | |
メジロ | |
さよなら小笠原 | 別れを惜しむダイビング船 |
また来いよ~ | |
DAIVE LOG 12時半にパパスダイビングのスタッフが迎えに来てくださり、港へ。参加者は15名(男7女8)。私たちは8名がなぎさグループ。7名があやかグループ。 6日 兄島①バラ沈 ヨスジフエダイの群れがお出迎え。 ②ひょうたん ユウゼン(小笠原固有種。友禅模様がきれい) ハタタテハゼ 7日 兄島①万作 サージョンフィッシュ ・ガーデンイール ②ドブ磯 イソマグロ ギンガメアジ ③万作の鼻 ホウイトチップシャーク 8日 父島①スターライトパレード ヨスジフエダイ・ノコギリダイ ・アカマツカサ ②赤岩 ツバメウオ・ヘラヤガラ ③トライアングルホウロックス ハナヤサイサンゴ・リュウキュウキッカサンゴ ・リュウモンサンゴ 9日 父島①長崎 チンアナゴ・キンメモドキ・ マダラハタ ②ダウンタウン マンタ・イソマグロ・クマノミ ③ドブ磯 ネムリブカ・ウメイロモドキ 2日目のドブ磯は流れがきつく、久しぶりにハードだったが、イソマグロやギンガメアジが出て素晴らしかった。岩場に掴まりながら進んでいたが、岩から離れるようにとの合図に気づかず、アップカレントに乗ったようで、上に吸い寄せられて、岩場に何度もブチ当たってしまった。息子が一度引っ張ってくれたが、持ちこたえられず、また吹き上がったのをなぎささんが岩から引き離してくれて、「死ぬところだったよ~」とどつかれてしまった。他の人たちはダウンカレントで沈んでいくし、生きた心地がしなかったようだ。ここのところ海外が多く、必ず後ろにサポートのスタッフが付いてくれていたので、気が緩んでいたと、反省する。岩に掴まっているだけでなく、離れるタイミングもあることを肝に銘じた。 赤岩のツバメウオは久々の遭遇。初めて遠出をした沖縄万座ビーチの真栄田岬で、ツバメウオを見てダイビングの魅力に嵌ったことが思い出された。ウメイロモドキも久々に見たが、ばらけていて絵にはならなかった。透明度は悪くなかったが、曇り空の日が多く、光が弱くて海中撮影はいま一つだった。 3日の1本目スターライトパレードで300本となる。なぜか息子も100本記念ダイブ。なぎささんが横断幕を用意してくださり、チームの皆さんと記念撮影。最終日には記念の名入りTシャツもプレゼントしていただき、うれしかった。多分これで記念ダイブは最後になるだろう。 最終ダイブは予定のポイントの流れがきつく、再度ドブ磯となる。バイオフィンのストラップが外れて無くなり、普通のフィンをレンタルしていたので、泳ぎ切れるか心配だったが、今回は流れはさほどではなく、最後のダイブを楽しむことができた。 |