足利フラワーパーク 定例撮影会
4月27日定例撮影会で足利フラワーパークへ行く。朝は雨模様だったが着いた頃には青空も見えてきた。園内に入ると百花繚乱息を飲むほどの美しさだった。後ろから来た方に「きれいですね」と言われたので、本当にきれいねと答えると「あなたの髪ですよ、すてきですね」と私の白髪を褒めてくださった。こんなきれいな藤の花の前で言われると恥ずかしかった。100,000㎡の広大な園内はさまざまな大藤、白藤、うすべに藤、クルメツツジ、シャクナゲ八重桜、足元には手入れの行き届いた花畑が広がり、むせ返るような花の香に誘われてハチたちが飛び回っていた。取り合えず広角レンズを付けてひとまわり、年輪を重ねた藤の巨木が見事だったが、私は白藤の姿に心を奪われた。ハチたちも白藤が好きなようで、群がって密を吸っていた。二回り目は500ミリの望遠レンズに取り替えてハチ達を狙っていたら、白髪頭の婆さんが大きなレンズを抱えているのが目立ったようで、「すごいですね、重くないですか」と声を掛けられる。カメラとレンズで2kgはあるので、「重いですよ、あと数年しか持てないと思うので頑張って撮っています」と答えるようにしている。
足利フラワ―パークは早川農園により運営されていたが19997年都市開発により現在の迫間町に移設。園のシンボルである大藤(樹齢130年)は樹木医塚本こなみ氏によって移植され、日本初の成功例として注目を浴びたようだ。土壌改良後、2000人もの人々の手で移植され、養生期間を経て準備から3年がかりの開園になったようだ。移植された大藤は10倍以上の枝ぶりに生育し、花房は1.9mに達するとのこと。
大長藤
白藤
クルメツツジ
足利織姫神社 1200年余の機場としての歴史を持つ足利。この足利に機織の神社がないことに気づき、宝永2年(1705年)足利藩主であった戸田忠利が、伊勢神宮の直轄であり天照大神(あまてらすおおみかみ)の絹の衣を織っていたという神服織機神社(かんはとりはたどのじんじゃ)の織師、天御鉾命(あめのみほこのみこと)と織女、天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱を現在の足利市通4丁目にある八雲神社へ合祀。その後、明治12年(1879年)機神山(はたがみやま)(現在の織姫山)の中腹に織姫神社を遷宮した。翌年の明治13年、火災に遭い仮宮のままとなっていたが、昭和8年皇太子殿下御降誕(現在の上皇陛下)を期し、当時の足利織物同業組合組長の殿岡利助氏の先導により市民ぐるみで新社殿の建造にかかり、昭和12年5月に現在の織姫山に完成、遷宮した。七つのご縁を結ぶ産業振興と縁結びの神様といわれている。
男坂は118段の石段、女坂は7色の鳥居を潜って・・
「出流原弁天池」は秩父古生層の石灰岩で形成された鍾乳洞から湧き出した湧水 名水百選にも選ばれた澄んだ水に鯉が泳いでいた。
ヨシコシ食品の佐野名水で作ったお豆腐、湯葉さしみをお土産に買って帰る。とろりとして、とても美味しかった。