家族旅行で岩国・宮島に行く
2022/8/24~26日、岩国・宮島に行く。24日は6時発の新幹線に乗るので、4時20分には自宅を出る。20分前には東京駅に着く予定が、池袋で随分時間を取ったので東京駅に着いた時、時計を見たら何と5分前大慌てでホームに急ぐ。新幹線の入り口が近くて6号車は直ぐだったので、何とか2分前に滑り込む。登りのエスカレーターが無かったので、息子がスーツケースを持ちあがってくれて助かった。どうも地下鉄の時刻表を見ていたようだ。スマートEXを使い取り換えが効かない乗車券なので、間に合って良かった。広島9時56分着、4時間の旅。途中で富士山と浜名湖を見ようと思っていたが、本を読んでいるうちに、過ぎてしまって、新幹線の旅を楽しめなかったのは残念!
新幹線口でレンタカーを借りて、広島平和記念公園へ。駐車場が近くになく、時間貸しの駐車場に入れて、原爆ドームへ。原爆の跡はドームだけ、すっかり整備された公園、本川と元安川が滔々と流れ、平安そのものだった。ウクライナの惨状がだぶって思い起こされ、2度と戦争はして欲しくないと思いを新たにした。
昼食を食べようとしたが、中心街には駐車場のある食事処がなく、岩国に移動途中に食事処を見つける。門構えはすてきなところだったが、出て来たお蕎麦が団子になっていて、つけ汁も量が少なく、ぼそぼそして美味しくなかった。
私が小学校の3年まで過ごした岩国市川下村、川下小学校は宇野千代さんが代用教員として働いたことのある小学校。彼女の自伝を読んでそこの先生と恋に落ち、あまりに情熱的に迫ったことに驚いたが、今津川の傍にあった小学校に行ってみる。当時の面影はなく、2棟もある大きな校舎になっていた。寿橋の袂で泳いだこと、田んぼのあぜ道を友達と歩いた思い出があるが、街並みはすっかり変わっていて、昔の面影はなかった。
原爆ドーム
その日は、錦帯橋の袂にある岩国国際観光ホテルに泊まる。錦川を眺めるスタンダードの部屋を予約したが、窓からは錦帯橋が眺められ、ゆったりした客室で気持ちが良かった。客室は7階にあり同じ階に浴室があった。その日はとても暑く、びっしょりと汗をかいたので、錦帯橋を眺めながらゆっくりと汗を流す。夜は8時から鵜飼鑑賞だったので、6時に夕食をとる。広い食事処に3組しか客が無く、ソーシャルディスタンスがしっかり取られていて、特選国産牛付き会席は、郷土料理の大平、鮎の汐焼、岩国寿司が郷土の味がして、美味しかった。国産牛の陶板焼きは特別注文だったので、私の分はいらないかと思ったが、箱詰めにきれいに野菜が並んでいて、牛肉を半分分けてやっただけで、美味しく食べられた。岩国寿司は名物あなごに金糸卵が乗った押し寿司で、美味しかったが流石に食べきれなかった。
8時から鵜飼船に乗って1時間の遊覧。肝心の鵜が魚を捕るところは光量が足りなくて撮れなかったのは残念だったが、初めて鵜飼を鑑賞出来て満足!
潮風公園みなとオアシスゆう 前日下見をした朝日のポイントへ、少し雲が掛かっていたが何とか朝日を撮ることができた。
呉・大和ミュージアム 宮島に行く前に呉に寄る。大和ミュージアムの企画展で、海軍を描いた作家の企画展があり、吉村昭、阿川弘之、吉田豊の3人が取り上げられていた。吉村昭は知っていたが、阿川弘之も東大生のとき学徒出陣していたことを知る、半藤一利が「敗亡した祖国日本の葬式をたった一人で
やってきたと彼の全集に推薦の辞を述べていること。私の知らなかった吉田豊という日銀行員作家がやはり学徒出陣で戦艦大和の最後を見届け、その詳細学徒出陣者達の思いを綴っていたことを知る。鉄のクジラ館は、実物大の潜水艦で、中は3段ベット、将校も2段ベットの狭い空間となっていて、こんな中で、戦闘をするのは精神的にも耐えられないと思った。巨大な41センチ主砲身も飾られていたが、こんな無駄なものに大金をかけなければ、世界はもっと豊かになるのにと思わずにはいられなかった。
新幹線道中、高峰秀子の自伝を読んだが、戦場に駆り出された若者たちが、胸にデコちゃんのブロマイドを抱いて、死んでいったこと、何百、何千通もの
手紙が彼女の元に届けられ、遺品としてぼろぼろになったブロマイドが遺族から届けられたことを読んで、涙が止まらなかった。
宮島 宮島口からフェリーで宮島へ、車だからそのまま行けるのかと思っていてら、宮島口で駐車場に車を預けて来るようにとのこと、あちこち探して、1泊1,000円のところを見つける。宮島へ着いたらホテルの車がお出迎え、山奥深く入って行ってホテルに着いたら階段を降りて谷底のような場所に宿があるので、びっくり。これでは観光は大変と思ったら、地下の浴場から外に出られるようになっていて、出たら直ぐが厳島神社だった。島内は車の通行が規制されていて、大回りしなければ、宿に行けないようになっているとのことだった。
夕食まで時間があるので、厳島神社へいく。干潮時で寝殿造りの床下には水が来ていなかった。鳥居も改装中で足場が組まれていて、姿が見えず残念。
少し海水が残っている場所に、人影が写ってきれいだった。厳島神社は593年推古天皇の代に建てられ、その後安芸守となった平清盛が1168年寝殿造りの社殿を修造。源氏の代となり室町、戦国時代となっても大内、毛利氏より崇敬を受けたとのこと。
豊国神社(千畳閣)豊富秀吉が安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂、秀吉の急死により工事が中止され、天上が未完成のまま残っているとのこと。
朝の厳島神社 満潮時は21時、朝はだいぶ汐が上がっていて、水に映る社殿がきれいだった。町家通りなど商店街を散策。シカも歩いていた。
弥山に登る 朝食後弥山に登るロープウエー駐車場にいく。まだ時間があったので、もみじ谷公園を抜けてロープウエーまで歩く。始発のロープウエーで
後からバスが到着してきた。標高535m、空海が開山し真言密教の修験道場としたそうだ。歩き始めはどんどん下って行き、上り坂も急峻で、足がすっかり弱くなった身には、とてもきつかった。息子から携帯電話が届き、無理だから引き返した方が良いとのこと。ロープウエー駅に戻り獅子岩展望台から瀬戸内海を一望する。伊藤博文が日本三景の一の真価は頂上の眺めにありと絶賛したそうだが、眼下に江田島や瀬戸内の島々が見渡せ、素晴らしかった。
せっかく広島に来たから、お好み焼きを食べなくてはというので、宮島口のお好み焼き屋「花子」に入る。私はあまり食欲がなかったので遠慮したが、隣の客があっさりして美味しいと言っていたので、鉄板の上に並べられたお好み焼きを見たら、パリパリに焼いた蕎麦に、キャベツがたっぷり入っていて、
卵やトントロやタコなどがトッピングされ、本当に美味しそうだったので、少し分けてもらう。やっぱり食べて良かった!絶品の味だった。