琵琶湖を旅する

 年末の家族旅行は琵琶湖と三方五湖・東尋坊・天橋立の旅を計画する。スマートEXで新幹線を利用しようと思ったら、年末年始は値引き対象外とのこと残念!今回はパスモに入力したのでそのまま入場出来て良かった。年末の28日まで大雪で滋賀の道路が閉鎖されたりしたので心配したが、新幹線が米原あたりで徐行運転となり15分遅れただけで済んだ。米原駅付近は融雪のため線路に水を撒いていた。京都駅の日本レンタカーでスタッドレスタイヤを付けたホンダフィットを借りてスタート。
 琵琶湖は石山寺・瀬田の唐橋・三井寺・満月寺浮御堂・琵琶湖バレイ・白髭神社に行って近江八幡に泊まる予定だったが時間が押したので琵琶湖バレイはカットすることにしたが、浮御堂に寄ったところで昼食にお蕎麦が食べたいと、運転者が坂本まで戻ったので白髭神社もカットすることになった。帰ってから編集していたら29日の画像が消えていて、残念ながら画像はなし。
 

 石山寺はお正月を迎えて大きな門松が立っていた。門を入った奥にお寺の入り口があり、境内は山を登った先にあって広そうなので、拝観料は払わず入り口から眺めるだけで失礼する。石山寺は平安時代から石山詣が盛んで紫式部が源氏物語を起筆したとの謂れがあり、多くの文学者が参拝しているようだ。

 瀬田の唐橋を渡って少し先のコンビニに駐車したので、橋まで戻ろうと路地を抜けると瀬田川になり唐橋まで遊歩道が設けられていた。瀬田の唐橋は日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」で名高い名橋。古くは、瀬田橋・瀬田の長橋とも呼ばれ、日本書紀にも登場する。現在の状態は、織田信長により現在の状況(大橋・小橋)に整備された。「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれるほど、京都へ通じる軍事・交通の要衝であることから幾度となく戦乱の舞台となった。現在の橋は昭和54年に架け替えられたが、緩やかな反りや旧橋の擬宝珠など往時の姿をとどめている。
「いそがばまわれ」の語源となったエピソードでも有名。

 三井寺は年末のため、拝観料の受付は閉鎖されていて、ゆっくり境内を散策する。天台寺門宗の総本山。境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとされる霊泉(井戸)があることから、「御井(みい)の寺」と称され、後に「三井寺」と通称されるようになったそうだ。入り口の仁王門をくぐると総本堂国宝の金堂があり、近江八景の三井の晩鐘は除夜の鐘を撞く用意がされていた。一切経蔵は回転式の巨大な八角輪蔵が見事だった。唐院は開祖「智証大師円珍和尚」の廟として最も神聖な場所で唐院の名前は、智証大師が入唐求法の旅で持ち帰った経典類を納めたことに由来するとのこと。三重の塔にはぺんぺん草が生え中世仏塔の風格が感じられる建物だった。

 近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は、寺名を海門山満月寺という。平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したという。くねくねと曲がった松が浮御堂に映えて美しかった。

 お昼におそばを食べたいというので、行き先をまかせたら、何と比叡山の門前町坂本まで戻ってしまった。日吉大社の前にある本家鶴喜蕎麦は外で待っている人がいて時間がかかりそうなので、手前の店を覗いたら閑散としていた。せっかくここまで来たのだからと30分くらい待って中に入る。湯葉そば
鴨なんばん、鳥なんばん蕎麦をそれぞれとっていただく。2時ちかくなっていたので、夕食にひびくかと思ったが、量は少なめだったので、丁度良かった。

 琵琶湖大橋を渡って琵琶湖の東側に渡るが、遊歩道があったので近くの駐車場に車を止めて、橋の中ほどまで歩いてみる。琵琶湖が一望できて良かった。

 近江八幡の途中の浜で夕日が撮りたかったが曇りだったので、安土城址に行ってみる。場所が違ったようで道もぬかるんでいたので、登るのはやめたが
昔日の栄華が偲ばれるものは何もなかった。



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